色覚異常を発見するためのパターン(石原式色覚検査表)を用いた平面作品。
健常者にとって識別可能で、色覚異常者には識別不可能な検査表が一般的であるが、その中でも石原表4類表は、その関係が逆転した、色覚異常者のみが判別可能な図である。その既成のイメージを、制作者も含む大多数が「見えない」ことを前提とする絵画として使用した。見るということは、頼りなく心細いものを信用することによって成り立つ。
展覧会「至近距離の宇宙」に寄せたテキスト
ひとつのものを見るとき、隣人が同じものを見ていても、同じように見えているわけではない。立体視や、錯視に関する作品を作るうちに、そう感じることが多くなってきた。知覚は交換不可能だから『ある人に見えて、ある人には全く見えない』といった不思議なことも当然起こり得る。
一般的に、鑑賞者は制作者の見ているものを見ようとする。そういった関係を反転させてみたかったので、特定の色覚を持つ人にだけ見える、色覚検査表のパターンを応用して作品を制作してみた。そうすることで、私には見えないものを提示できると思った。検査表をスキャンして、そこに用いられている色を数値化していると、私の肉眼では同じに見える色のB(RGBのBlue)値が微妙に異なっていることに気づいた。つまり、赤緑色覚異常のある人は、青色のグラデーションの差を、健常者と呼ばれる人たちより微細に見分けることができるということだ。私には見えない、ずっと豊かな空や海の青を想像すると楽しくなってきた。けれども、展示期間中、本当に見えているのかどうかずっと不安だった。そしてとうとう展示最終日にギャラリーから、「今日見えたという人がいました」との一通のメッセージが届いた。会ったこともない誰かと繋がれた気がして嬉しくなった。
突き詰めると、完全に理解し合うということは不可能である。『共感』という甘い言葉で思考停止していることに気づかなければいけない。コミュニケーションは、空気を読むことではなくて、知覚のディスコミュニケーションを認め、近づいていく努力のことだと思う。
信じられない出来事を見たり聞いたりするとき、目を疑うような、耳を疑うような出来事と言ったりするけれど、自分の感覚器官を疑い、日常を見つめ直すことができれば、身近な場所に新たな驚きを見つけることができるはずだ。
A two-dimensional work using a pattern of Ishihara Color Vision Test Plate for the color-vision deficiency test. It is common to use a test plate which is unidentifiable for a color-blind person but Ishihara Plate No. 19 is a reversed version and only a color-blind person is able to identify the picture. Using the existing image as a picture which majority of people including the artist myself cannot “see.” Seeing is the action to be realized by trusting something not reliable.